I STARTED HIKING #1 まさか俺が山に登るとは・・。

B!

 

 

 

#1 まさか俺が山に登るとは・・。

 

2015年 秋。

あれは、「え? 俺って中年?」みたいな機会が増えた38歳の時だった。

 

仕事もひと段落して退屈だったので、登山をしている友人Kに「登山の写真を見せて?」と訪ねてみた。彼は「いいよ。」と嬉しそうにスマホを取り出し、少し得意げに保存していた写真を見せてくれた。僕は驚いた。友人Kは写真の中で、クレバスという氷河や雪渓の割れ目の横に立っていた。他の写真もテレビやネットで見るような秘境みたいな場所ばかりだった。写真全てが本当に素晴らしかった。そしてこの写真が、退屈していた僕の好奇心を大きく揺さぶった。

 

<写真>他の人が真面目に歩く中、梅干し持ってふざける友人

 

 

そして僕は、、、
秘境ってふざけながらでも行けるのか。俺も行けそうだな。

 

って、なったわけだ。

そして僕は山に行く理由を作る為に「魅力的な山はないか?」と、友人に質問を始めること数分。すぐに好奇心をくすぐる山が出て来た。

その名も「水晶岳」。

この聞いたこともない山は、どうやら北アルプスにあるらしい。そもそも北アルプスがどこにあるかわからないけど、日本だというので場所は後で調べることに。そして水晶岳というのは北アルプスの最深部に位置し、晴れの日にはみんながニコニコしながら歩いているという。もう未知の話過ぎて「山奥でニヤニヤしながら歩いてるとか怖っ。」とか変な想像をしている僕に彼はこう言った。「騙されたと思って行ってみな。すげー良いところだし、大君なら絶対に行けるから!」僕はこの言葉にサクッと乗せられた。「んじゃ行ってみようかなー!楽しそうだしなー!」て、なって。「テント持って行っちゃったりしてなー。」と、なるわけだ。こーなってくると更に妄想は加速する。「俺、冒険の旅に出るよ。」とか周りに言っちゃってな♪「なんで山に登るかって?そこに山があるからさ。」とか言いだしちゃってな♪別れ際に「アディオス!」とか言っちゃったりしちゃって!(注)全ては当時の登山のイメージです。こんな事を考えたのち、「山で美味しいご飯を作れば女の子にモテる。」が決め手となり、この中年は水晶岳を目指すことになる。

僕はワクワクしながら水晶岳を調べた。

なになに?
ウィキペディアによると、、

水晶岳(すいしょうだけ)富山市南東部に位置する標高2,986mの飛騨山脈(北アルプス)の山である。

山域は中部山岳国立公園に指定され、日本百名山に選定されている。 別名は、黒岳。

ほほー。なるへそ。よくわからん。て、なったので、まずは山に行ってみることにした。なんか色々と調べるのも面倒だったので、小学校の時に遠足で行った神奈川県の大山(おおやま)に向かう。

大山に登ってわかったこと。

1、「好奇心」〜心は "楽しい"に向かう

山では退屈しなかった。先の景色がわからない登山道や、山の中の音、瞬時に変わる様々な匂い。など、感覚や感性を刺激するものが溢れるように飛び込んでくるから、僕の好奇心はそそられっぱなし。結果、心は常に楽しい方に向かおうとする。

2、「運動」〜心が "健康"に向かう

僕は物心つく前から運動と外遊びばかり。とくに20代前半までは一年中アホみたいな顔して外にいた。しかも真冬でも手にはだいたいコーラを持っていた。完全に狂っていた。もちろん今回の大山でもアホみたいな顔して歩いたけど、体を動かすことは生きていく上で色々と都合がいい。重要なのは "体が動くと心も動く"ということ。山で動くと、心はより健康な方に向かおうとする。

3、「自然」〜心が "本質"に向かう

小さい頃から海で遊ぶ方が多かったからか、この大山登山までは山より海の方が楽しいイメージがあった。山は歩くだけで面倒だからなーと思っていたけど、ようやく山の素晴らしさに気付いた。歳を重ねる素晴らしさを実感。そんなこんなで、今回の大山登山は"山"のイメージを変える役割を果たしたという事になる。自然は、心を本質に向かわせてくれる。
僕は、この大山登山の帰り道、水晶岳を教えてくれた友人Kに連絡をした。大山よりも大きい山に行く為のアドバイスが欲しかったから。そんなことを伝えると、友人Kが山に連れていってくれる事になった。目的地は「丹沢山」。それから丹沢山に行くまでの数日間、暇さえあれば登山の情報や山の知識をネットで拾った。
そして、ある日のこと。
いつもどおり山について調べていると、「北アルプスは10月から雪が降る。。。え!?ってなった。焦った。なぜ焦ったかって、この情報を発見した時点でもう9月後半だったからだ。あと少しで水晶岳に雪が降る。。。毎日ネットで山の情報を拾っていた僕は、雪の積もった北アルプスを歩き、水晶岳まで行くことが困難なのはすぐにわかった。この時、初めて水晶岳への登山をリアルにイメージした僕は、道具や知識、体力など、何から何まで不足している事にようやく気付く。登山で人が死んだというニュースを毎年聞く事も思い出した。
まーまーまーまー、よく考えたらそうだよな。ロクに運動もしてない中年がいきなり「来週あたりちょっと水晶岳行くわ!」って発言は、毎日犬の散歩をしているおじさんが家を出るときに突然、腰にきびだんごをつけて「鬼退治に行ってくる!」って言いだす様なものかも知れない。その証拠にどちらも「何言ってんだ、おっさん!」ってツッコミがハマる。
てことでなんか怖そうだし、行き方も良く分からないし、そもそも寒いのは絶対イヤなので水晶岳登山を来年に持ち越すことに決めた。さらに、持ち越しを決めた数分後には片足を台の上に乗せて立ち上がり、目を細め、少し遠くを見つめながら心に誓う。

北アルプス最深部に雪がなくなる翌2016年の夏、

「俺は、水晶岳に登頂する!」

き、きまった。。カッコいい、俺。
※この話「僕、山登りを始めました。」について。
僕は、今の日本を作っている大人こそが楽しく遊ぶべきだと考えています。子供は大人の姿を見て育ちます。だから大人が前向きに人生を楽しむ必要があります。大人こそが子供を見習って新しいことに恐れず学ぶ必要があります。そして心を強くして少しでも多くのゆとりを持つことが重要です。大人が率先して新しいことに挑戦し、心の繋がりを広げて楽しむことが日本の未来を明るくする最短ルートであり、誰でも挑戦出来る方法なのだと思います。
ここには、僕が山を登り始めてから水晶岳の山頂に辿り着くまでの心の動きの一部を記録しています。山は自分の心と向き合う時間を作ってくれます。人や自然との関わり方を学ばせてくれます。そして僕が最も興味を持っている "心の在り方"を考えさせてくれます。これを読んでくれた人が、少しでも "大人こそ楽しく遊ぶ" という必要性を感じて貰えたら嬉しい限りです。
最新の記事はこちらから